転職支援事例「待ったをかけられた転職活動」
以下の文章は首都圏から生まれ故郷、山形へUターン転職を果たしたDさん(31歳)からいただいた文章です。そのまま、全文を掲載させていただきます。
Dさん、ありがとう。本日(7月9日)の初出社いかがでしたか!?
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私がキャリアクリエイトの原田さんに初めてお会いしたのは、2004年のゴールデンウィークでした。
大学進学と共に山形を離れ、就職も無難に首都圏のメーカーを選びましたが、家の事情もあり、何となくですが、近い将来Uターンしようと、心のどこかで考え始めていました。メーカーに入って3年が過ぎ、転職活動を何となく始めた頃は、リクナビやエンジャパンなど、首都圏では有名な転職エージェントを利用してUターン転職を模索していましたが、地方の企業に対する情報が少なく、あまりうまく行きませんでした。そんなときです、インターネットを検索していたら、山形にキャリアクリエイトという転職斡旋の会社があることを知りました。
2004年のゴールデンウィークに帰省した際、面談させて頂くことになりました。原田さんに初めてお目にかかったときは、デカイ人だな~と思ったのが第一印象。まだUターン転職に対する意識があいまいだった私の思いを熱心に聞いて下さり、同時に山形の企業の状況を丁寧に解説して頂きました。その上で「折角メーカーにいるのだし、もう少しメーカーで経験を積んでみたら、きっとよい経験ができるはずだから」というアドバイスを頂きました。そういうアドバイスもあり、いったんはUターン転職のことを忘れました。
その後、私にとっては忘れることのできないとても思い入れの深い仕事に巡り会うことができました。この仕事をきっかけに会社での評価も上がり、同時に、一緒に大変なプロジェクトを完遂したメンバーやお客さまとも強い信頼関係が築けました。また、個人的にもエンジニアとしてステップアップすることができ、あの時、無理にUターン転職しなくて良かったと今は思います。
再び、Uターン転職を考え始めたのは、メーカーで一通りの仕事が何とかできるようになって自信が付いたことと、祖父母が他界して、両親2人だけになってしまったこともあり、将来のことを考えるとUターン転職のタイミングとしては今しかないと考えたからです。
2006年10月末に東京駅の喫茶店で原田さんと再び面談しました。現在までの仕事の状況と、今後の仕事の予定をお話しました。2006年12月~2007年4月上旬まで神戸に長期出張することが内定していたため、正直、その時期に転職活動をするのは厳しいのではないかと考えていました。事実、参画したプロジェクトは、プロジェクト崩れ末期の状態で、業務SEとして加わった私の生活は、休日返上の4ヶ月間でした。その状況下で転職活動をやって行けたのも、履歴書や職務経歴書などドキュメントに関するレビューや、採用面接の段取りなど、こちらの状況を最大限配慮頂き、調整してくれた原田さんのおかげです。そんな中「是非紹介したい企業がある」と言われ、その企業の方と東京で1次面接を受けました。面接してみると、とても雰囲気の良い、そして技術指向の高い企業という印象を強く受け、Uターンするなら、この会社に入りたいという思いが強くなりました。2007年のゴールデンウィークに山形の本社で最終面接を受け、ゴールデンウィーク明けに正式内定を頂きました。退職については正直骨が折れましたが、何度となく電話やメールで原田さんに相談しました。そして、原田さんの的確なアドバイスのおかげで、最終的には円満退職まで漕ぎ着くことができました。今は新しい会社での生活に向けて、ドキドキ半分ワクワク半分といったところです。
キャリアクリエイトの原田さんは、県内外を問わず、様々な企業の情報を文字どおり足で稼いでいます。転職は縁とタイミングが大事と言いますが、この両方をフォローして頂けるのは、非常に有難いことだと思います。